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2013.07.27.

霊明神社、龍馬さんたちが送られた場所。

 近江屋事件で亡くなった坂本龍馬さん、中岡慎太郎さん、下僕の藤吉さんは、慶応3年11月17日の夜に霊明神社に葬られます。

 慶応4年になって霊山護国神社ができ、幕末に命を落とした志士たちは護国神社へ祀られることになります。

 今、龍馬さんたちのお墓は霊山護国神社内にありますが、元々は霊明神社で神葬祭を行ったのです。

 それは知っていたのですが、お墓にお参りはするものの、霊明神社に行ったことはありませんでした。

 今回、講演会が霊明神社で行われると知り、行ってよかったと思いました。

 神社自体は新しく建て替えられてはいますが、神の坐す場所は変えないはずですから、きっとこの前に龍馬さんたちが安置されていたのだろう、と……

……感無量です。


 今回の講演会では、本当に貴重な資料を知野さんがお持ち下さいました。

……もう、とにかくすごくて!

 溜め息しか出ません!

 喉から手が生えるんじゃないかとwww

 下の写真は、慶応4年の版画印刷らしです。龍馬さんたちのお墓の奥津城。

 霊明神社に保管されているものです。

 霊明神社はそもそも長州・毛利家とつながりが深かったようです。

 長州の久坂さんも、永代供養をこちらでお願いしたとか。

 こちらに龍馬さんたちが葬られたのも、長州との結びつきが強かったから、ということなんでしょうか。

 

2013.07.27.

「事実」を疑え。

 今日は、京都の霊明神社で講演会があったので行ってきました。

「坂本龍馬」の誕生、という本を書かれた、TBSプロデューサーの知野文哉さんの講演で、「船中八策」の成立過程についてです。

 私たちは、「ノンフィクション」と「小説」は分けて考えています。

 ですが、「ノンフィクション」が本当にノンフィクションか、と言われれば「そうなんでしょ?」って疑いもしないことが多いです。

 ですが、「ノンフィクション」といえど、人間の書いたもの。

 何を取り、何を捨てるか、そしてどう綴るかはそのひと次第です。

 古い史料だから。近しいひとの言葉だから。

 それは必ずしも「真実」とは言えません。

「船中八策」は坂本龍馬の作ったものだと、今ではほぼ「事実」となっています。

 ですが、それが本当に「事実」なのか。

 あなたがその手に取った「資料」を書いたひとの向こう側は。

 私は、霊山護国神社の絵馬に龍馬さんの言葉として書かれている「人間というものはいかなる場合でも好きな道、得手の道を捨ててはならんもんじゃ」という言葉を「龍馬さんの言葉」と思っていました。

 実際は「竜馬がゆく」からの言葉なのですが。

 権威のものであれば、疑いもせずに飲み込んでしまう。

「汗血千里の駒」に書いてあるから、これは「事実」だ。

 そんなことは絶対にないのです。

……要約すればそんなことです。

 知野さんの本、読みたくなってしまったので早速買いました!

 届いて読んだらまたレポします!

2013.07.24.

新コーナーです。

「ゆらゆらゆらぐ」という

ちょっと不思議なコーナーを作りました。

眉唾ものですwww

2013.07.22.

またまたお久し振りです。

またこれ1ヶ月振りくらい……放置しすぎwww

私的にもMAD的にも忙しすぎまして。

ずっとお絵描きしてます。

お絵描きばっかしてると、小説も書きたくなります。

でも、締め切り近いのでそんなことしてられませんw

ので、今日は春のインテで配布しました晋作話をUPしました。

この先どうなったかはみなさんのご想像にお任せします(´∀`*)ウフフ

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