昨夜は、大捕物があったらしい。
永倉さんの二番隊が見廻り担当で、戻ってきたときには羽織の色が浅葱に見えなかった。あまりの凄惨さに、口から出かかった悲鳴を何とか押し殺したほどだった。
「だ、大丈夫ですか!?」
三和土で慌てて草履を引っ掛け、駆け寄る私に永倉さんはいつものように歯を見せてにっかと笑って私に手を伸ばした。
「俺の血じゃねぇから安心しろ。悪ぃな、心配かけちまって」
その伸ばした手をいつも通り私の頭に乗せようとして、永倉さんは慌ててそれを引っ込めた。「洗ってくらぁ」そう言って、井戸の方へと消える。
ほ、っと溜め息が零れる。
とりあえず、血を流しておかなきゃ。
永倉さんが脱ぎ捨てた羽織を拾って、私は洗い場へと向かった。
陽が中天に差し掛かっても、永倉さんは起きなかった。よほど疲れているようだ。
朝から洗って干しておいた羽織も乾いて、綻んだそれをひとつひとつ、直してゆく。さあ。最後は永倉さんの分。
ばさ、っと羽織を拡げてほつれや破れを確認する。それを見れば、どれくらい永倉さんが無茶をしたのかよく分かる。苦しくて苦しくて……胸が潰れそうだ。なんで、こんな無茶をするんだろう。
汚れは綺麗になって、元の浅葱色を取り戻している。私は針に糸を通し直し、綻びを縫い合わせた。
布団も跳ね飛ばし、大の字になって鼾をかいて眠る永倉さんの傍にいると、それだけで安心できる。生きているんだって、そう思える。
ひと針ひと針、丁寧に縫い合わせる。永倉さんを守ってくれますように、と。
「いた……っ」
気を散らしたせいか、うっかりと人差し指に針を突いてしまった。……鈍臭い。
「千鶴っ!?」
「きゃっ!?」
永倉さんが急に起き上がって、私の背中にのしかかってきた。押さえた私の指を、ぎゅっと掴む。
「お、起きたんですか? 驚かせないでくださいよ!」
「……血」
永倉さんが握り締めた私の指先に灯る、丸い赤い光。
「た、大したことないですから……っ!?」
言うより早く、永倉さんはそれを口に含んだ。どくん、と心臓が鳴る。は、恥ずかしい……!
舌を出し、ぺろりと舐め取った。そして私の顔を覗き込んで……
「……わ、悪い! な、何やってんだ、俺!」
慌てふためいて、永倉さんは私から飛び退く。そ、そんなに慌てられると、私の方が恥ずかしくなる……。
「あ、ありがとうございます……」
「まったく、鈍臭ぇな、おめぇはよ」
そう言って笑いながら、永倉さんは私の頭をぐしゃぐしゃにする。
「あああ、腹減ったなあ。昼も終わっちまったか?」
「あ、私、おにぎりでも握ってきます」
「おう。すまねぇな」
縁側で、永倉さんはおにぎりを頬張ってお茶を飲む。私はその隣で、永倉さんの羽織を繕う。のどかな午後、鳶が甲高く啼きながら、秋の高い空を旋回している。
「……さ。できましたよ」
「お、ありがとよ。おおお、すげぇ、新品みてぇだな」
……永倉さんは大袈裟だ。そんな訳ない。自分の針目の乱れっぷりに、我ながら呆れる。
立ち上がってばさっと羽織りながら、俺が一番似合うだろ? と笑う。針道具をしまいながら、私も「そうですね」と笑った。
「……碧血、って知ってるか」
思わず見上げると、永倉さんはいつになく真剣な表情で空を見上げていた。空も羽織も、見事な浅葱色。
小さく首を振ると、永倉さんは私を見下ろして少し笑った。
「中国の故事によ、忠義を貫いて死んだ者の血は地中で三年経てば碧玉になる、ってのがあってよ。だから、碧玉の色は忠義の色なんだ」
また、浅葱色の空を見上げ、腕を組んで遠くを見つめる。どこを、見つめているんだろう。
「浅葱に血の色が混ざると、碧血になる。それが、俺達の忠義の証……けどよ」
これは、誰に対しての忠義なんだろうなあ、そう、小さく呟いた。私にしか聞こえない声で。
「空が、遠くなっちまったな……」
鳶が、高度を上げる。
何を、思い出しているんだろう? 誰を、思い出しているんだろう?
あの頃はよ……そう口の中で呟いて。永倉さんはもうそれ以上、何も言わなかった。
慶応三年十月も、終わろうとしていた。