
「ううっ、結構寒いぜよ」
綿入れを掻き合わせて身震いすると、隣でリョーコがふふっと笑った。
「船を見に行こうって言ったの、龍馬さんでしょ?」
宇治川のほとりにふたりで腰を下ろして、行き来する高瀬船や三十石船を眺める。ねえねえ、あれは何? リョーコは、自分の知らないものがあると、好奇心いっぱいの瞳をきらきらさせながらワシの顔を覗き込む。
今日は思いのほか冷え込んで、川の上には霧が漂っている。朝ぼらけの中、渡る船の掛け声だけが響いている。
そのとき。リョーコが小さなくしゃみをした。ワシは自分の襟巻きを外して、そっとリョーコの首に掛けてやった。
「龍馬さん、寒いって言ってたのに……」
「リョーコが寒そうにしちょる方が、ワシは寒い」
そう言うと、リョーコの化粧っ気のない頬が、ほんのりと赤くなる。そんなリョーコの顔を見ているだけで、ワシは心があったかくなる。
また、風が吹いた。何かを言いかけたリョーコが、ふと口元を押さえる。
「やだ……」
一瞬顔を顰(しか)めたが、あ、そうだ、と途端ににこにこ顔になる。袂から小さな巾着袋を取り出し、中から何かを取り出して、口に塗っている。
その何かを塗って、リョーコはワシの方を見てにっこりと笑った。
思わず、心臓が飛び跳ねる。
その唇は、きらきらと輝いていた。ゆらゆらと煌いていて、そこから目が離せなくなる。ワシには、もうそこしか目に入っていなかった。
「それは……紅か?」
「グロスです。リップクリームの代わりの。制服のポケットに入ってたの、持ってきて良かった。乾燥して切れちゃって、痛いんですよね」
ぐろす。りっぷくりいむ。何だかよく分からない。
周りの、年頃の町娘とは違い、リョーコは普段から化粧はしない。その所為か、風に当たって上気した頬とその何かを塗った唇は、余りにも艶かしくワシの目に映る。
自分でも呆れるくらい、ワシはじっとリョーコを見つめていた。
「あ……あの、龍馬さん?」
リョーコの唇が、言葉を紡ぐ。
あの唇に、ワシの唇を寄せたら、いったいどんな感じがするんじゃろう? 柔(やわ)いんじゃろうか? 甘いんじゃろうか?
それは、抗えない誘惑。
知らない間に、ワシの手がリョーコに向かって伸びていた。
ワシを拒むか? それとも……。
「龍馬さん……?」
はっと気づいて、ワシは思わずリョーコの唇を摘んだ。
「にゃっ、にゃにしゅるんでふかっ!」
「そんなもんを塗って、男の前に出よるからじゃあ」
「いたあいっ」
リョーコが、抗議の声を上げる。自分の手を見ると、赤い血がついている。唇が切れたか。
「もうっ、切れたから塗ったのにっ」
ぶつぶつと文句を言うリョーコの目の前に血のついた指を差し出し、ワシはそれを口に含んだ。ゆっくり舐め取って、にやりと笑う。
「これで、一心同体じゃな」
リョーコの顔が、これ以上は赤くなれないくらいに染められてゆく。じっとリョーコを見つめると、リョーコは恥ずかしそうに俯いてしまった。
リョーコの血がワシの身体を廻って、ワシの身体の一部になってしまえばいい。そうして、ワシから離れられんようになってしまえばいい。
もう、二度と。
