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 おや。

 おやおやおや。

 これは、面白い。



「な、悩む……」

 私は、お菓子屋さんの前で悩んでいた。

 武市さんが、どれでも好きなものを買ってきていいと言ってくれたのだけど。

 このお店のお菓子は本当にどれもこれもおいしそうで、どれかに絞るというのは拷問に近い。

 悩みながら、ふと元の世界のことを思い出す。そういえば、剣道部のみんなと部活の帰りによく寄り道したっけ。みんな……今頃、どうしてるかな。あのころと同じように、みんなでパフェとか食べながら好きな男のコの話なんてしてるんだろうか。

 ふう、と溜め息が零れる。

「なるほど、悩ましい」

 背中の方から、そう声がした。がっ、と両肩を掴まれて、思わず悲鳴が口から出そうになった。

「甘いものを目の前にしながら溜め息とはね。なかなか艶っぽい」

 振り返ってみると、それは……乾さん! 初めて会ったときのことを思い出して、思わず硬直してしまう。

「こ……こんにちは、乾さん」

「こんにちは、由布《ゆう》さん。つれないねえ、退助、と呼んではくれないのかい?」

 そんなこと、できるわけないです!

「あの……まだ会って二度目なのに、それはちょっと……」

「なんだ、選べないのかい? 武市も存外締まり屋だな。なんなら私が全種類揃えてやるが?」

 いいえ、結構です、そう言いたかったけど、この人に頭の上がらなかった龍馬さんと武市さんのことを考えると、とても私は逆らえない。咄嗟に、私は「これ、ください!」とお店の人に大福をお願いしていた。

「そっちじゃないよ。武市の好きなのはこっち」

 え……?

 乾さんはそう言うと、手早くお店の人に注文を出した。袂から巾着を取り出し、言われた代金を支払ってしまう。「持ってくれるかい?」そう言って私にお菓子を持たせると、乾さんは私の背に手を置いてぐいぐいと押した。

 乾さんに促された方向は、寺田屋とは反対方向だった。土佐藩邸に向かっているような気がする。慎ちゃんに、乾さんには気をつけるように言われていたのに……!

 大通りを曲がって、狭い路地に連れて行かれる。どうしようかと戸惑っているうちに、人気の少ない通りでいきなり背中に痛みが走った。乾さんが、板壁に私を押しつけていた。

「い、乾さん……?」

「しっ」

 口を、その綺麗な人差し指で塞がれる。心臓が、飛び出してしまいそうだ。

「……その娘」

 乾さんの背中から、声がする。この声は……土方さん!

「無粋だな。逢引を邪魔しないでくれるかい?」

「やはり……由布か。おめぇ、土佐藩の人間だったのか」

「気軽に他人の女を呼び捨てにするとはね。馬に蹴られて死にたいかい?」

 乾さんはそう言うと、私を背に隠して土方さんに向き直った。

「誰が誰の女だって?」

「ま、正確にはまだだけどね。これから妾にする。ただの町娘にしては上玉なもんでね」

 な、なんてことを! そう思った瞬間に鯉口を切った音がして、背筋に冷たいものが走った。

「……ちょっと離れておいで」

「あ、危ないですよ、乾さん……!」

 思わず乾さんの袖を掴んでそう言うと、乾さんは私の方を振り返って少し笑ってみせた。その顔に見惚れていると、どん! と突き飛ばされた。

 土方さんが、抜き放った刀をそのまま横に払う。それはあまりにも早くて、私はもうダメだと思わず顔を手で覆ってしまった。

 それでも、私は指の間から見てしまった。乾さんは鞘のまま土方さんの刀の鍔を跳ね上げ、そのまま左の肘を土方さんの喉許へと振り出していた。

「な……っ!」

 その肘は、直前で止められていた。土方さんの、驚いた表情《かお》。

「……刀では負けるかもしれないが、喧嘩では負けないよ?」

 鞘のままの刀を腰に戻し、乾さんは尻餅をついたままの私を助け起こして大通りへと押し出した。

「由布さんに血を見せたくなかったんだろうが、次は本気でやろうか」

「ち……っ」

 私たちが去ってゆくのを、土方さんは追ってはこなかった。そうして、あっちこっちを曲がったり戻ったりしながら、気がつくと寺田屋の前に来ていた。

「じゃあね、由布さん。龍馬や武市によろしく」

 乾さんはそう言って、何事もなかったかのように手を振って道を戻ってゆく。

「あ、あの……っ!」

「ああ、忘れていた。悪かったね、妾にする、なんて言ってしまって。君はただの町娘の方がいろいろと都合がいいもんでね。でも、どうせなら本妻の方がいい」

 笑いながらそう言う乾さんは、とても楽しそうで。どこまでが本気でどこからが冗談なのか、私にはよく分からない。用件は終わったとばかりに、乾さんは振り返ってまた歩き出した。

「あのっ、お代金!」

「ああ、そっちね」

 もう振り返りもせずに、乾さんは軽く手を挙げるだけだ。

「武市から貰った金はへそくりにでもして、俺のところへ来るときの持参金にしなさい」

「もうっ! 行く訳ないじゃないですかっ!」

 ははは、高く笑う乾さんの声。

「想うだけなら、誰でも自由だからね」

 あっという間に、乾さんの姿は人込みに紛れて見えなくなってしまった。

 開けてみると、包みはふたつあった。武市さんが好きだというつぶあんの大福餅に、私が見とれていた綺麗なお茶菓子。

 分かりにくい人だけど、悪い人じゃないのかもしれない。なんとなく、乾さんのことが分かったような気がした。

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秋海棠 界 

KAI SHUKAIDO

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Twitter:kai_shukaido

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