
けほっ。
薄く開けた障子の向こうからひんやりとした風が流れ込んできて、喉が引きつった。
もう、冬も近い。風に揺れる私の髪が、重みを失う。
またひとつ、空咳が出る。
押入れの中に入れておいたスクバを取り出して、中身を探ってみた。まだ、飴、あったかなあ。
手探りでごそごそとカバンを引っ掻き回すと、隅っこの方でがさ、っと何かに触れた。よかった。のど飴だ。
ビニールの個包装を破り、口に放り込む。お気に入りのイチゴ味。メントールがすごく効いているけど、とても甘い。
ここに来てからも、武市さんが大福を買ってくれたり、桂さんが金平糖をくれたり。甘いものもたくさんもらってとても嬉しかった。
でも、このすっきりさはここにはないもの。
最後のひとつ。じっくり楽しもう。
がらっ。
襖が開いた。
「お、おったか」
「あ、はい」
龍馬さんが、お盆を持って私の部屋に入ってきた。湯呑からは、温かそうな湯気が上がっている。
「女将がな、おんしが何度も咳をしとると心配しておってのう。生姜湯を作ってくれたんじゃ」
お登勢さんが?
嬉しくて、こころがあったかくなる。お母さんみたいで、思わず元の世界を思い出して切なくなった。
「ありがとうございます」
涙をごまかすために慌てて湯呑を取って口にしかけて、ふとそれを元に戻した。
「どがぁした?」
「あ、えっと……さっき、飴を口に入れてしまって」
「ほう?」
そう言うと、龍馬さんは鼻をくん、と鳴らした。
「そういえば、何やら甘い匂いがしゆう」
「イチゴ味なんですよ。この飴、大好きなんです」
そうしてまたひとつ、鼻を鳴らす。
「甘い以外にも何か別の匂いがしよるな。……なんじゃろう?」
「メントールです。すうっとするんですよ」
「めんとーる?」
龍馬さんの目がきらっと輝いた。あ、しまった……。
「ワシも食ってみたい!」
……ああ。やっちゃった。
新しもの好きの龍馬さんのことだ、こんな話したら絶対に欲しがるの分かってたのに。
「あ、あの。ごめんなさい。これが最後のひとつで……」
「なにっ? それは残念じゃのう……」
あああ。そんな悲しい顔、させたい訳じゃないのに……。
ふーむ、と龍馬さんはしばらく唸っていた。
「おお! そうじゃ!」
思いつたように顔を上げ、そして私の傍に寄った。な、なんだろう……?
「その口の中の飴を、ワシにくれればえいが」
……は?
「食べさしでもワシは気にせんき」
ほれ、と私の顔に龍馬さんの顔が寄せられる。
え……ええええっ!?
腰を引き寄せられ、右手は私の頬を捕らえる。そして上を向かされ、龍馬さんはじっと私を覗き込んだ。
「ほれ。べー、って」
むむむむむっ、ムリっ! そんなこと、できるはずない!!!
「で、できませんっ!」
「大丈夫じゃ、落とさんようにちゃんと受け取るき」
「そ、そういう問題じゃないくて!」
「なんじゃあ、独り占めとは意地が悪いぞ」
ダメだ、まったく論点が咬み合わない!
このままじゃ……き、キス……することになっちゃうじゃない!
そ、そりゃあ……龍馬さんのこと……大好きだし……イヤ、な訳じゃない。
だけど!
味わったことのないものを食べたい、もうそれしか考えていないみたいで。ただそれだけで……ファーストキスがこれでは切なすぎる!
「ほれ。のうなってしまう前に。早う」
私を抱く龍馬さんの手に力が込められ、もっと顔が近づいた。少しでも動けば、触れ合ってしまう距離。
それより何より腹立たしいのは……戸惑ってるのが私だけ、ってこと。このうきうきした龍馬さんの顔を見てると……心臓が破れそうなくらいの思いをしている自分がバカバカしくなってくる。
軽く首を傾ける龍馬さんに、もう目を開けていられなくなった。思い切ってそっと舌を出す。小さくなった飴を乗せて。
舌先を、何かが掠めていった。ほんの、一瞬。
はっと目を開けると、龍馬さんが口を動かして満足そうに笑っていた。
「ほう! こりゃ面白い! 口の中が一瞬で冷とうなったぞ! 未来の菓子ちゅうんは、まっこと不思議なもんばかりじゃのう!」
あの瞬間に私の舌に触れたのは龍馬さんの唇だったんだろうか、そんなことを考えてひとりでドキドキしているのが悔しくて、私は龍馬さんから顔を背けた。ホントに龍馬さんって、女心が分かってない!
そしたら、龍馬さんにまた両頬を包まれて龍馬さんの方を向かされた。
「な、なんですか! もうないですよ!」
「……怒っちょるんは、何かを期待しちょったからか?」
にやり、と笑う龍馬さんに、一瞬で顔が沸騰した。
「な……っ!」
「あの飴、もうワシの口で溶けてのうなってしもうた。じゃけんど、おんしの……の方が甘そうじゃ」
おんしの、唇。
そう、聞こえた。
龍馬さんの目が伏せられる。触れる吐息は甘いイチゴの香りがした。
